すむむ。コミュニティ
住まい探しのコミュニティ・プラットホーム。
作家向田邦子を、南青山の自宅マンションで写した一枚のモノクロ写真がある。たっぷりとしたツヤツヤの黒髪、Vネックのノースリーブシャツに光沢のあるパンツを履いて、素足で絨毯にぺったり坐ったまま無造作に美しい飼い猫をなぜている。本の表紙や展覧会のポスターにも使われることの多い写真だが、カメラ目線ではない、自宅ならではのくつろいだ雰囲気のこの写真を最初に見たときに、いろんな意味で衝撃を受けた。
ひとつには、それまで文庫本のポートレイトなどで見慣れた向田邦子より、若くて華奢でくだけた色気があり、別人のように見えたこと。そしてもうひとつは、背景の本棚があまりにも乱雑すぎることだった。よくこのまま撮影したなと思った。棚からこぼれ落ちそうなほど、資料や本が積み上げられ突っ込まれ、そして、そんなことなどお構いなしに、飄々と写真に収まる向田邦子がカッコよかった。筆一本で南青山に新築マンションを買った独身女子の気迫のようなものが凝縮されており、それまでの、文豪の仕事場的なインテリア写真にはない生々しさが新鮮だった。
このとき向田邦子は41歳。いまなら独身女子がマンションを買うことも、自分の好きなものに囲まれて暮らしを楽しむことも珍しくはないが、向田邦子は昭和4(1929)年の生まれである。この写真が撮影されたのは、昭和45(1970)年ころと思われる。それを考えると、写真からほとばしる迫力もむべなるかなと思うし、向田邦子がいまも古びない理由もわかる気がするのだ。
ひとり暮らしを始めたのは、マンションを買う6年前、35歳のときだという。向田邦子のエッセイには、猫一匹だけを連れて、親と暮らす家を出たときの話が形を変えて何度か出てくる。
――二十代の終わりから、ポツポツとラジオやテレビの仕事をするようになっていたが、家を出て別に住むようになったのは三十を過ぎてからである。
些細なことから父といい争い、
「出てゆけ」「出てゆきます」
と言うことになったのである。(父の詫び状『隣の匂い』)
父との喧嘩はきっかけのようなことで、一日も早く独立して家を出たいと思っていたから、別のエッセイでは、家出ができたことは「正直いってとても嬉しかった」とも書いている。不動産屋と部屋探しをしたその日は、折しも、昭和39(1964)年の東京オリンピックが開幕した初日だったという。
――日本中の人がテレビにかじりついているというのに、父と言い争い家を飛び出して部屋探しをしている人間もいる。不動産屋の車が青山の表通りから横丁へ曲がった。こんなところにマンションがあるのかな、と思った途端、ゆきどまりになった横丁の真下に、国立競技場がひろがっていた。(中略)
たいまつを掲げた選手が、たしかな足どりで聖火台を駆け上がってゆき、火がともるのを見ていたら、わけのわからない涙が溢れてきた。
オリンピックの感激なのか、三十年間の暮らしと別れて家を出る感傷なのか、自分でも判らなかった。(眠る盃『伽俚伽』)
東京オリンピックという国を挙げての祭典の日に、いまよりずっと静かで広かっただろう東京の青空の下を、向かい風に吹かれながら歩く向田邦子の姿が見えるようだ。
結婚することで社会的に安定した居場所を獲得することが、女性の人生にとって当たり前の選択だった時代に、そこから外れていく不安と、それと引き換えに手に入れた自由な暮らしへの、武者震いのようなものが伝わってくる。そして、そんなふうに始まったひとり暮らしでさえも、素敵な暮らし自慢にしないところが、向田邦子の向田邦子たる所以である。
――貯金をはたいてアパートを借り、家具をととのえて入ってみて、私はドキンとすることにぶつかりました。
私は急にお行儀が悪くなっているのです。ソーセージをいためて、フライパンの中から食べていました。小鍋で煮たひとり分の煮物を鍋のまま食卓に出して、小丼にとりわけず箸をつけていました。(中略)
私は、自分の中にこういう要素があることを知っていました。
人が見ていないと、してはいけないことをしてしまう癖です。(中略)
自由は、いいものです、
ひとりで暮らすのは、すばらしいものです。
でも、とても恐ろしい、目に見えない落とし穴がポッカリと口をあけています。
それは、行儀の悪さと自堕落です。
(男どき女どき『独りを慎む』)
ひとり暮らしをしたことのある人なら、誰でも思い当たる自分との闘い。向田邦子は、うまいもの、骨董、猫、旅、ファッションと、自分の好きなものととことん付き合う暮らしを楽しんだおひとり様の先駆けとして、いまでも憧れられる存在だが、ひとり暮らしのオソロシさと情けなさを赤裸々に書いた先駆けでもある。人生の落とし穴を常に見つめながら、前人未到の自由を謳歌したその心意気に、後進のおひとり様たちはひきつけられ励まされるのである。
そして不慮の航空機事故によって亡くなるまで、このひとり暮らしの時間のなかで、向田邦子は作家として後世に残る作品を次々と送り出した。
引用出典:『父の詫び状』(文春文庫)、『眠る盃』(講談社文庫)、『男どき女どき』(新潮文庫)
むこうだくにこ 作家。昭和4(1929)年東京生まれ。実践女子専門学校国語科卒業。映画雑誌編集記者を経て、ラジオ、テレビの放送作家として活躍。代表作にドラマ「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」「あ・うん」など。47歳のとき「銀座百点」で『父の詫び状』連載開始。昭和55(1980)年初めての短編小説『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞受賞。翌56(1981)年台湾旅行中に航空機事故で死去。享年52。著書に『無名仮名人名簿』『夜中の薔薇』他多数。